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『羽生蛇村が幻想郷入り』シリーズ制作者による 舞台裏とか新着・裏話を載せていく―――
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ごく当たり前のことを、少し。
とりあえず、SIRENタグ自重。
特にNTタグは絶対につけないこと!

当たり前ですよ?
これはSIRENじゃなくて『さいれん(笑)』のレベルであり、
NT要素は入れていないと散々書いてます。


とか書いても、
そういうタグを入れちゃう人ってのは
そもそもこのブログに到達できすらしないんだろうな…哀しや。


SIRENの、設定の解釈については
長くなりそうなので追記で。
 
 



これも、ごく当たり前のことですが。
お分かりになってらっしゃらない方が嫌に多いので、書きます。


SIRENも、東方も、
設定やストーリー、更にはキャラクタの末路において
かなり曖昧な部分が残されている作品です。

最大の落とし穴は、
貴重なアーカイブ(情報を指す)に限って
誰かの主観から描かれているということ。

求聞史記や文花帖が良い例です。
個人の主観や思惑が(良くも悪くも)情報を改変しています。

番外編で、わざわざ紫に
「他人からの情報を鵜呑みにするのは、ねぇ。
状況的にも仕方ないとはいえ危険だわ。」
なんて言わせたのだって、こういう理由があるからです。


お分かりいただけますか?

東方とSIRENの設定に関して、
曖昧な部分については独自解釈を含む
ということです。

これは、設定の全てを補完しなければならない
作者という立場上、言わずもがなのことわりです。

作品を愛する者として、当然、
一次設定(公式の見解)を99%以上尊重して
独自の解釈という結論を導き出しています。

故に、独自といっても
結局ポピュラーな論理に達することの方が多いです。

が、両者に共通しているのは
主な表現方法が『ゲーム』であるということ。
これが、今回このよううな難点を生み出した最大の原因では?

たとえば東方。
弾幕勝負をしていますが、神主は、
「あれをあのままやっている、というわけでもない」と仰ったはず。

これは当たり前のこと(スペカルールを考えればわかる)ですが、
ゲームとして成立させるためには
自らの設定に反する表現が必要になります。

SIRENとて、同様に。
「1の屍人はそんなに喋んねぇよ」と仰るあなた。
あなたは、設定ではなくゲームを尊重していますね?
生前の記憶が残されている、
特に半屍人の場合が、あの位喋っても全く問題ありません。

あるハードを媒体とする以上、
そこには『スペック』という最悪の敵が待ち構えています。
NTで、屍人の生活臭・集団性の向上が顕著だったのは
他ならぬハードの進歩が原因です。

目に見えるものだけが真実でないのは、
創作という界隈においては真理でしょう。
そう仮定するならば、ゲームの表現よりも
実際の設定を尊重しなければいけません。


お分かりいただけるでしょうか。
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無題

・・・正直、申し訳ないことをした。
自分は「1で屍人は云々」を書き込んだ。そんな設定を知らなかったからだ。
おそらく大半の人間はゲームをクリアしただけの人間で、故に屍人=喋らない、という観念がすでに頭にあるのだと思う。
確かにゲームそのものが設定の上に成り立つのであるから、おそらく主の言うことは一つの正しい見方だと思う。
荒れるようなコメントを書いて、申し訳なかった。
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未熟者ヒナ/Hina572
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しがない高校生(289歳)。
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